-
1894
綿布問屋「服部兼三郎商店」(名古屋市八百屋町)創業
興和グループの社歴は、明治27年、服部兼三郎が自らの名を冠して興した個人商店「服部兼三郎商店」にまでさかのぼる。当初手がけたのは鳴海、有松あたりでできる絞や知多木綿の集荷であった。
-
1946
愛知県蒲郡市に興和光器製作所を設立
眼鏡レンズ、オペラグラスの生産を開始し、次いで35mm映写レンズ(昭和22年)、双眼鏡(昭和23年)の生産へ展開
-
1952
スポッティングスコープを日本で初めて製品化
日本初のスポッティングスコープとして「TS-1,TS-2」を発売。東京オリンピック(1964年)の射撃競技にて公式採用されるなど、発売から36年間ものロングセラーモデルとなった。
-
1953
シネマスコープ用映写レンズ(アナモフィックレンズ)を製造・販売
シネマスコープは二〇世紀フォックス社が開発したワイドスクリーン方式であり、二〇世紀フォックス社と契約を結び、日本および東南アジアでの販売権を獲得した上で製造・販売した。
観光用大型双眼鏡を国内メーカーで初めて設置(名古屋 丸栄百貨店屋上)
名古屋の丸栄百貨店屋上に四台設置したのが第一号である。10円硬貨一枚で三分という料金であった。
-
1954
6cm×6cm判二眼レフ「カロフレックスI」を発売
興和光機が発売した最初のカメラ。セルフコッキングのセミオートマットの二眼レフ。開発に5年の歳月が費やされ、24×32㎜サイズ、いわゆるニホン判の35㎜カメラであった。
-
1955
米国・ニューヨーク市に「コーワ・オプチカル (Kowa Optical Corp.)」を設立
光学製品の米国販売拠点として「コーワ・オプチカル (Kowa Optical Corporation) 」を設立した。
-
1956
興和光器製品(株)を設立
カメラ、映写レンズ、その他を特約店に販売した。
-
1958
東京都調布市に興和電機研究所を開設
興服産業株式会社は、1958年に電機部を新設し自社での国内販売活動を開始。さらに興和電機研究所を開設したことにより、生産から販売にいたる電機部の骨格が完成した。
ブリュッセル万国博覧会に8ミリシネカメラ用交換レンズ、シネマスコープ用撮影レンズを出品し、名誉賞を受賞
昭和30年代前半、光学部門では双眼鏡、スポッティングスコープ、シネマスコープ用撮影レンズなどレンズ・眼鏡類の生産が引き続き順調に進められた。また、カメラ分野においては市場ニーズが二眼レフから三五ミリカメラへと急速に移行したため、興服産業株式会社も35ミリカメラで新製品を相次いで世に送り出した。
-
1959
小型テープレコーダー、トランジスタラジオなどの量産開始
六石トランジスタラジオ「KT-61」、八インチポータブルテレビ「TV-82」、超小型テープレコーダー「マイクロコーダーER-2」の生産を開始。
16㎜判カメラとラジオの一体型機種「ラメラ」を発売
プロミナー23㎜ F3.5レンズを搭載、シャッタースピードはB・1/50・1/100・1/200秒。カメラとしての機能は最低限にとどまっていた。9Vの6P電池で作動した。メーカーとしての遊び心で開発された製品である。
興和プラネタリウム一号機を愛知県蒲郡市にあった三谷プラネタリウムに納品
-
1960
光学部と電機部を統合し、電機光学部とする
初心者用カメラ「コーワキッド」を発売
少し重いボディーを持つ初心者用カメラで、レンズは70mm F11の固定焦点でシャッターは2スピード、ベスト全判とマスクを入れることで4×4cm判の撮影が可能。
-
1962
眼底カメラ「コーワRC」を発売
光学技術の新たな応用分野として着目したのが「医療機器」である。手持式眼底カメラの分野では世界の90%以上のシェアを占めるまでに至った。
興和プラネタリウム二号機を浜松市児童会館に納品
-
1963
興和株式会社は「興和光器製作所」を「蒲郡工場」に、「興和電機研究所」を「調布研究所」に名称変更
興和株式会社は米国に現地法人「コーワ・カメラ・コーポレーション (Kowa Camera Corporation) 」を設立
興和株式会社の電機光学製品のアメリカでの販売において電機光学品に専念する会社として「コーワ・カメラ・コーポレーション (Kowa Camera Corporation) 」を設立し、光学製品は同社を通じて販売されることになった。
-
1968
監視用途でのレンズ販売
-
1971
ベルギーに現地法人「コーワ・ヨーロッパ (Kowa Europe S.A. ) 」を設立
興和株式会社は1963年に興和製光学製品の対欧州向け輸出の本拠地としてブリュッセルに駐在員事務所を開設。欧州地区における商社業務が順調に伸びたため現地法人「コーワ・ヨーロッパ (Kowa Europe S.A. ) 」として独立した。
-
1972
現地法人「コーワ・タイランド」(KOWA CO.,(THAILAND)LTD.)を設立
1956年UTOバンコク支店の所属連合員として伊藤萬、新興産業とともに進出。1967年にUTOバンコク支店が解散となり1968年当社単独の駐在員事務所を設置。1972年に現地法人「コーワ・タイランド」となる。
-
1976
広角眼底カメラ「RC-W」を発売
眼底カメラを開発して以来手持式の機種に絞って製品化し、独自の需要を開拓してきた。しかし、医療の高度化に伴い眼底カメラにもより高性能、高機能が求められるようになったため、大型(据え置き型)の新機種を開発した。
-
1979
文字図形ディスプレー装置「CG-800」を開発
フライングスポットスキャナー技術を利用したキャラクターディスプレー装置は放送用や電鉄用に広く使われてきたが、素子の発達等により純電子的な文字図形の合成が容易となり、文字図形ディスプレー装置「CG-800」を開発。各地の放送局に納入した。
-
1980
米国・ロスアンジェルス市に「コーワ・オプチメド (Kowa Optimed, Inc. ) 」を設立
「コーワ・オプチメド (Kowa Optimed, Inc. )」 は社名のとおり、オプチカル(光学機器)とメディカル(医用機器)を扱う販売会社であり、電機光学事業部のアメリカにおける新しい販売拠点となるものである。これによりコーワ・アメリカンの光学品販売部門はコーワ・オプチメド (Kowa Optimed, Inc. ) に移管された。
CCD応用の小型オペーク装置「OS-102」を発売
-
1981
家庭用ビデオカメラ用ズームレンズの量産
ホームビデオ時代の幕開けに際してその将来性に着目し、昭和53年、日本ビクター向けにビデオカメラ用ズームレンズを開発した。このビデオズームレンズは次いで松下寿電子工業やソニー向けにも開発し56年の生産ピーク時には、当社はわが国の全生産量の八割強を生産するトップメーカーになった。
半導体製造露光装置ステッパー光学系、小型スキャナーなどを受注生産
アナウンスリピーター、フライングスポットスキャナーなど当社得意の製品が、デジタル技術やCCD応用技術などの最新の技術成果を取り入れ、オーディオビデオファイリング装置、文字図形ディスプレー装置、CCD小型オペーク装置などのまったく新しい製品へと生まれ変わった。
システム眼底カメラ「RC-XV」を発売
「RC-XV」は高度な自働化・システム化を日本で初めて実現した機種として、眼底カメラの新時代を切り開いた。
-
1982
オーディオビデオファイリング装置を開発
音声と同時に静止画像まで大容量磁気ディスクにデジタル方式で収録・再生する装置であり、テレビ放送の静止画像CMなどの送出に使われた。
-
1983
調布研究所(電気光学事業部)を新設
-
1984
米国コヒレント社と合弁でコヒレントコーワ株式会社を設立
コヒレント社はレーザー機器では世界のトップメーカーであり、かねてより日本に生産拠点を設けるためのパートナーを探していた。興和はコヒレント社に眼底カメラをOEM供給しており、当社の技術水準に注目した同社からの提案だった。
白内障初期診断装置「CLEAD-1000」を開発
レーザー光の特性とエレクトロニクス、コンピュータ技術を活かしたこの製品は、その後の当社のレーザー応用機器の先駆となった。
スポッティングスコープ「TSNシリーズ」「TSN-1,TSN-2」を発売
“世界一見え味の良いスポッティングスコープを作る”をコンセプトに77mm口径レンズを搭載し、新設計の光学系を用いたTSN(Tele Scope New)シリーズを開発、発売。TSNの名称は現在に至るまで、プライド、コンセプトと共に受け継がれている。
-
1986
ドイツ・デユッセルフドルフ市に「コーワ・ヨーロッパGmbH(Kowa Europe GmbH)」を設立
-
1988
ハイビジョン用文字表示装置を開発
キャラクターディスプレー装置の分野では、放送用ワードプロセッサー「CG-120」、ハイビジョン用文字表示装置をはじめ、スポーツタイム表示装置、おことわり表示装置などの新機種を開発・納入した。
-
1989
サンノゼにシリコンバレーオフィスを新設
半導体生産のメッカ、シリコンバレーの中心都市サンノゼに、電気光学事業部の連絡事務所「シリコンバレーオフィス」を開設し、マーケットリサーチ業務を開始した。
CCTVレンズの生産開始
-
1991
監視用レンズ、FA用レンズを次々に発売、世界展開を図る
-
2001
業務用映像機器の販売を本格化
-
2007
36万画素白黒CMOSカメラ「SC36M」を発売
-
2014
低照度カラーカメラ、マイクロフォーサーズ用交換レンズを発売
-
2018
興和の照明機器の製造・販売を興和光学に承継
-
2021
興和光学(株)を興和オプトロニクス(株)に商号変更
(株)テックメイクに資本参加し完全子会社化
-
2023
興環テクノ株式会社、および興和テックメイク株式会社をを吸収合併